by Canon EOS D30

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2001年12月28日
納会の1シーン
今日は仕事納めで会社の納会となった。17時からえんえんと様々な酒をガブガブ呑んで、会は滅茶苦茶となり酒癖の悪い
我が社らしいひどい飲み会ではあった。途中から学研に色校
で来ていた八木さんが酒と肴を持って飛び入りしてくれて会
はますます盛り上がった。今年はテロ関連で久々に会社が
通信社らしく機能した年だった。他人の不幸によって忙しく
なるのは因果な商売だが、我々は誇りを持って仕事をしてい
る。なぜなら、真実を伝えるのがマスコミの使命だからであ
る。目を覆って綺麗なモノばかり賛美すれば気持ち良く生き
られるかも知れない、しかし、現実は綺麗で平穏な事だけで
はない。獅子座流星群のように美しい感動もあれば、血なま
ぐさい殺しあいがあるもの。それが人間なのである。
とはいえ、来年は平穏無事な一年であって欲しい。会社にと
っては不景気かも知れないが、全人類が手を取って仲良く
生きてゆくことにはかえられない。その努力ができるのも
また人間なのだ。とにかく来年も撮りまくろう!
八木さん、いつもありがとうございます。

2001年12月24日
飛び立つノスリ
東京はクリスマスイヴで浮かれている所だろうが、こちらは
マイペースに撮影。金沢最終日の今日はレンタカーを借りて
気になる撮影地、河北潟をロケハンした。下調べではチュウヒ
の繁殖が日本で初めて確認された場所との事で、他にもハイイ
ロチュウヒ、ノスリ、チョウゲンボウ、など猛禽類の種類が
多く、ケアシノスリやアカアシチョウゲンボウなどの珍しい種
も見かけられるとの事で、猛禽マニアとしては期待させられ
た。広大な干拓地で肥沃な農地が広がる河北潟は生き物が豊
富であり食物連鎖の縮図そのもの。その頂点に立つ猛禽類が多
いのは必然である。観られたのはトビ、ノスリ、チュウヒ、
チョウゲンボウなど。ハクチョウも観られた。特に珍しい種類
は観られなかったが、頻繁に猛禽類を見かけるので好きな人に
はお薦めだ。昼過ぎに金沢に戻り、広小路の蕎麦桐やで盛り沢
山のそば膳を頂き、レンタカーを返して中田屋のきんつばを
お土産に買って、帰った。総じて酒と肴、不安定な天気という
のが今回の金沢・能登の旅の感想。とりわけ寒ぶりの味は忘れ
られない。素敵な北陸の旅をプレゼントしてくれた妻に
感謝したい。
猛禽の多い河北潟で見かけたノスリ

2001年12月23日
朝市で干物を売るおばあちゃん
輪島の朝は何といっても朝市だ。早い時間にチェックアウトし
て出かけてみた。海の幸を中心に漆製品や民芸品、お菓子など
様々な市が立っていて、それが300mほど続く。あまり多くを買
うつもりはなく、冷やかし半分だったのだが、元気なおばあ
ちゃんが多い売り手のうまさの前に、結果的にそれなりの金額
を使ってしまう羽目になった。なまものなど旅行中に買えない
ものもクール宅急便で送る事ができるので自分用ではなく
お土産として買わされてしまうのだった。漆で有名な輪島塗り
に関しては現地で直売であっても決して廉価ということはない
ことを知った。やはり手間暇かかる物づくりは安く買えるわけ
がない。漆職人も薄利多売では割に合わないのだ。だから輪島
塗りの箸200円→5膳で800円などという代物は本漆ではな
く、樹脂を使ったもので、機械生産だということだ。購入の際
には原材料の表示を見た方が良い。小一時間買い物を楽しんだ
後、特急バスで2時間、金沢へ戻った。天候はやはり雪が降っ
たり晴れたりで、すっかり『財布忘れても傘忘れるな』という
北陸の天候に慣れて来た。金沢では近江町市場近くの料理屋で
寒ぶりなど刺身定食を食した。日曜日で市場が休みなのでほと
んどの店が閉まっていて何軒か開いている店には凄い行列がで
きていてウンザリさせられた。そこで周辺を歩き回って見つけ
たのが『きたがわ』。一見、入るのがためらわれるような店構
え。さらに入ってびっくり!無愛想な親父が嫌な顔をして迎え
るではないか。『失敗だったか』思いつつも出るのもあれなの
で、メニューにはなかったが『ぶりを定食で』と頼んだ。しば
らく忙しそうにしていた親父は私達が次に訪れる場所の算段を
していると話しかけてきて、最後にはかなり仲良くなり、お酒
を一口出してくれた。肝心の味だが、ぶりは昨日ホテルで食し
たものよりもさらに美味しく、厚めの刺身が9切れほども入っ
てご飯、味噌汁、香の物、小鉢で1100円。その他では鯛の柔ら
かくて美味しいのに驚いた。良い客には良い店になるタイプと
見た。昼食後は金沢城を歩き、兼六園を観光した。そして
『あぶらとり紙収集』に情熱を燃やす?私の妻の希望で東山
へ行き、あぶらとり紙専門店へ。なかなか店から出てこないと
思っていたら、お土産も含めて相当量を購入してやっと出て来
た。すっかり暗くなってきたので片町方面へ移動して魚が美味
しいと教えられた『寺喜屋』で夕食。刺身もさることながら
ここのぶり大根が絶品で感激した。酒を飲む所ではなく食事処
なので香林坊まで戻って地元の居酒屋『五郎八』で少し呑んで
宿に戻った。
朝市のおばあちゃんは商売上手で気がつくとお金が

2001年12月22日
なぎさドライブウェイ
三十路入りのお祝い?にとの妻の粋なはからいで北陸旅行へ。
初めて訪れる金沢・能登にはさぞ寒いというイメージしかな
かったのでガッチリ着込んで出かけたが、さほどでもなくむし
ろ電車の中やバスの中などは暑くてたまらなかった。天気予報
では雲と雪マークだけだったので『荒々しい日本海側の天候』
をイメージしていたのだが、実際に訪れてみると確かに雪も
ちらつくし、どんよりとした雲も広がるが、時折、青空や眩し
い日射しも照りつけるなど『つかみどころのない』天候だとい
うことに驚いた。初日のこの日は金沢から観光バスで輪島へ
行った。何しろ予備知識がないので、こういう時くらいは嫌い
なツアーでもいいかという判断だった。砂浜を観光バスが走る
なぎさドライブウェイや松本清張の作品の舞台になった巌門、
など能登の説明を受けながら輪島まで4時間のバスの旅だった。
暗くなった頃に輪島へ到着し、高洲園ホテルへ宿泊。商売気
たっぷりの観光ホテルだったが、寒ブリや甘エビ、蟹など海の
幸がやはり美味だった。地酒もまあまあ美味しく、お腹一杯の
夜だった。
能登の面白い所は天気がコロコロ変わる点だ

2001年12月21日
EOS-1D
予約していたEOS-1Dが入荷した。このスーパーウェポンは今ま
で不満だったD30の連写能力を大きく改善し、書き込みの速さも
大幅に速くなり、これまで逃していたシャッターチャンスを
確実に捉える事が可能になった。これは動物写真、スポーツ写
真、報道写真にとって大革命であり、新聞レベルの印刷では
完全に銀塩カメラの存在意義は無くなったといえる。全てにお
いてこのデジタルの性能が凌駕しており、コスト面でも遥かに
有利なのだ。論より証拠、持ち帰って早速、試写してみた。
秒間最高8コマの連写速度はシャターを切ってみてすぐに満足
できた。さらに連続撮影可能枚数が多く、書き込みを始めても
いつでも次のシャッターが切れる素晴らしさだった。しかも
連続して撮影した後に少なくなった撮影可能枚数がほんの少し
休むだけでみるみる回復?してゆくのがファインダー内でリア
ルタイムに確認できるのだ!『使える!』この一言に尽きる。
ほとんど使わないAFに関してもEOS-1V並みのようで、これな
らば有効なシーンではAFを利用する事もありそうだ。もはや
機材面でのボトルネックはなくなったわけで、今後の撮影活動
に弾みがつきそうだ。
最高のウェポンは値段も最高(涙)

2001年12月19日
八木祥光氏
20代最後の夜、八木さんにおつき合い頂き、駿河台の蕎麦屋
へ。いろいろとお話している内にふと『そうだ撮ってもらお
う』と思いつき、D30を託したがファインダーが壊れていて、
ピンが合わないで困った。AFで撮ってもらおうと思ったら
八木さんはカバンからチェキを取り出して撮影してくれた。
チェキの良い所はポラなので即時カタチになるということ。
デジタルもその場で確認はできるが、カタチとして手にする事
ができる点ではチェキの方が上だ。おかげで良い記念を頂い
た。女じゃあるまいし、別に感傷的になっているわけでもない
のだが、明日から三十路なのだと思うと、自分はその資格が
あるのか、というよりもそれだけ成長しているのだろうかと
自問自答してしまう。ただ、20代が充実していた事だけは自信
を持って確信している。さあ、次の10年はどんな出会いが
待っているのだろうか。終わりなき旅は続いてゆく...
八木さんに20代最後の写真を撮っていただいた。

2001年12月16日
ジャックラッセルテリアのようなモモ
噂のケアシノスリ君を観に行って来た。今日は快晴で撮影日和
だった。現場に着くなり彼を観る事ができたが、すぐに河原の
対岸に去ってしまった。また戻ってくるだろうと撮影場所を
決定してひたすら待った。彼はなかなか戻ってこなかったが
その間にチョウゲンボウが盛んに飛び回っているのを飽きる程
眺めることとなった。ダラダラムードになって来た頃、やっと
戻って来てくれた。そして頭上の近い位置でホバリングのサー
ビスを見せてくれた。この日は風が強く、チョウゲンボウも
ケアシノスリもたっぷりホバリングを見せてくれた。早めに
帰り、実家で私の誕生日会(って年齢でもないんだけど)を。
実家に戻ってびっくり、子犬が出迎えてくれた。名前はモモ。
ジャックラッセルテリアに似ているがハーフだという。初めこ
そ怯えていたが、すぐに私にもなついてくれて、ぬいぐるみの
ようにふるまっていた。立続けに飼っていた犬を2匹失って暗く
なっていた実家に、明るいアイドルがやって来た。亡くなった
犬達もこのぬいぐるみのように可愛い子をOGとして歓迎して
くれていることだろう。
モモちゃんはぬいぐるみのように可愛い

2001年12月12日
ふかひれの姿煮
久々に会社の飲ん兵衛精鋭部隊が集まり、地味に飲んでいたが
少しお腹が空いた、さて腹ごしらえしようという点で一致して
行った先がよりによって揚子江菜館だった。すっかり調子に
乗っている一行はアワビもの、上海蟹もの、フカヒレものを
頼みまくり、お腹を満たすどころかかえって気持ち悪くなって
しまった。フカヒレの姿煮など産まれて初めて食したが、まず
くはないけど、丸ごと食べるものではないという印象だった。
マスコミでも頻繁に取りあげられる揚子江菜館だが、実は味が
落ちてきている。マスコミに露出し過ぎて常に混んでいる状況
が味を落としたのだと思う。神保町であれば三幸園(焼き肉、
餃子、本格中華料理の3店鋪の内、本格中華)の方が格安で
はるかに美味しい。週に1回はここのお弁当でお腹を満たしてい
る。おすすめはチャーハン、海老のうま煮丼、中華丼、蟹の
リゾット、などなど。なかでもベーシックなチャーハンは米粒
がパラパラでスープがしっかりしているので、塩胡椒でごまか
した油飯とは一線を画している。このご時勢に頻繁に食べられ
ないが神保町で中華なら揚子江より三幸園と断言できる。
丸ごと食べるものではありません

2001年12月9日
明治神宮
いつもの鳥バカたちが集まりオフ探鳥会&忘年会が開催され
た。私も参加させて頂き、日頃、野鳥写真と文章からの印象し
かない方々に実際にお会いし、鳥と自然を愛する皆さんの人柄
に触れる事ができる良い機会になった。探鳥会は明治神宮で昼
過ぎに開催、都心部という事で親睦会程度に考え、あまり期待
していなかったが、オシドリが多数観られ、カワセミも頻繁に
観られた。この日の写真でコンテストをやるという企画があっ
た事を思い出したのは到着してからで、今日は飲み会がメイン
で写真は撮らないと決め、1脚さえ持ってこなかった事を後悔
したが、時すでに遅しだった。こうなれば手持ちでも、その辺
のがっちりしたものを三脚代わりにしてでも何とか1枚撮ってお
かなければ、と意気込んだ。あせればあせるほど撮れないもの
で今回は良い写真よりも、良い言い訳を考えた方が正解となっ
た。夜は銀座で忘年会となった。会は話題たっぷりでとても楽
しく、あっという間に2時間が過ぎて行った。もっともっと話を
したかったが、明日は仕事だしまた次回ということで解散と
なった。今回、幹事をして下さったたーぼ♪さんとミドリンさ
んに大感謝な土日だった。
熱心にオシドリを狙う『御一行様』

2001年12月8日
巾着田
鳥見仲間のお誘いで巾着田へ。ここへは野鳥の写真を始めた
大学生の頃に右も左も判らずに訪れて以来久しぶりに訪れる事
となった。入門書を読み、初めて自分の双眼鏡を購入して訪れ
た思い出の場所だ。Nikonの500mmを背負って西武線に乗り八高
線に乗り換えて高麗の駅で降り、とことこやって来たのだっ
た。当時は護岸工事中でカワセミの姿は少ししか観られなかっ
たが、初めて買った双眼鏡で観る青い背中に感動したのを憶え
ている。その現場で『飛びもの』の楽しさを教わる事になった今までの私の写真は『静』そのもので、色味とかポーズにばか
り気がいっていた。職業病なのだろう、生態写真よりもキレイ
な絵の方を自然と指向していたのだ。だが、やはり相手は生き
物、動く被写体だ『動』も撮らねば。しかし動きのある写真は
撮るのが難しく、それがとてもスリリング。いつもの1脚+手ブ
レ補正では対応しきれず失敗を繰り返した。結果、良い写真は
得られなかったが多くを学ぶ事ができた。次回は同行の先輩に
負けずに良い写真を得たいと思う。現場で出会った12歳の少年
に驚いた。彼の作品はばっちり撮れていて、将来有望である。
この世界で私よりもはるかに若い愛好者がいて嬉しかった。
デイキャンプのにぎわいが嘘のよう。

2001年12月5日
セブンイレブンのこだわりおむすび
セブンイレブンで買い物をした。おにぎりでも食べようと物色
すると新発売の『こだわりおむすび』が目についた。中身が見
えない高級感?のあるパッケージで価格は少し高めの160円と
170円。宣伝も見た事がないし、どう『こだわり』なのか良く
知らなかったが、コンビニの弁当はセブンイレブンくらいしか
食べられないと思っている自分なので迷わず購入した。撮影な
どで出かけても必ずセブンイレブンを探して腹ごしらえをする
のだ。イトーヨーカドーを勉強し、就職活動で最終面接まで
行った事もあるが、IYは確かに日本の小売で唯一AAAの格
付けを海外から受けている優良企業なのだ。セブンイレブン
ジャパンの業績を見れば、その企業姿勢が結果として現れてい
ることが容易に判る。さて、このおむすび、なかなか米粒が美
味である。そして肝心の具が中心部だけでなく、かなり広範囲
に入っている。具の味もまあまあで、これで他のコンビニの
おにぎりはもう馬鹿馬鹿しくて食べられなくなるだろう。
いくらの量がもっと多ければ最高!

2001年11月27日
バイエルンvsボカ
国立競技場へトヨタカップを観に行った。すっかりサッカー
が趣味の一つになった私にとってクラブチーム世界一を決定
するこの試合は大きな楽しみの一つで、昨年はフィーゴや
ロベカル、ラウルといったスーパースターのプレイを観る事
ができた。今年はドイツのバイエルン・ミュンヘンと昨年に
続いてアルゼンチンのボカ・ジュニアーズの顔合わせで少し
地味な印象だった。注目はバイエルンのキーパー、カーンと
ボカのリケルメである。共に代表で大活躍するスタープレイ
ヤーだ。試合は地味な展開で、これといった見せ場がなく
時間だけが過ぎてゆく。枠にシュートが飛ばないのである。
いや、そもそもシュートしたのだろうか...決定的な場面
でデルガドがシュートし損なう信じられないものも見せられ
た。バイエルンもボカもパスのつなぎがバラバラでなってい
ない。せめて個人技を観たい所だが、これも見せ場なし。
無駄な所でぶつかりあっていて格闘技のようだった。後半に
なっても退屈な時間が過ぎてゆき、ついにスコアレスで延長
となった。同行の先輩とともに呆れて競技場を後にした。
帰るとバイエルンが1点取って勝ったとの事、しかし点の入り
方はぱっとしなかった。リケルメがずっと悔し泣きしていた
のを見て驚いた。あれで本気でやっていたんだ...
寒い中応援に行った多くの観客、泣きたいのはこっちだ!
プロレスじゃないんだから...

2001年11月25日
会場でのお二人
寺家で自然観察、撮影、保護、指導などの活動をしていて
私の師匠である高田哲良さんと一緒に活動されている人々の
7人でのグループ写真展が麻生市民館ギャラリーで開催され
ているので観に行ってきた。野鳥から昆虫、野草までいろい
ろと展示『え、こんなものまでいるの!?』と驚かされる。
なぜなら寺家はすっかり開発されたベッドタウンに奇跡的に
残った里山であり、ほんの少し歩けばそこはもう都市だから
だ。いや逆に考えなければならない。もともと、これだけ
豊かな自然が存在していたのが今では風前の灯なのだ。この
地の保護は複雑な事情があって容易ではないが、今回のよう
な企画を通じて誰もが童心に帰れる里山の存在感をアピール
し、それを残した方が楽しいということを啓蒙しなければ先
は危ういだろう。歩いているだけで気持ちの良い里山がなく
なることは、人々が心の中の何かを失う事に値すると思う。
新百合丘だったので、帰りは高名なウィーン菓子司『リリエ
ンベルグ』に寄ってザッハトルテや焼き菓子を買って帰っ
た。店には沢山のお客さんが押しかけていて、既にクリスマ
スケーキは予約数終了との断わりがあった。月9CXの
『アンティーク』が洋菓子ブームに拍車をかけている?
会場での高田さんと水野さん

2001年11月18-19日後編
南天のオリオンと流星
獅子座が昇るにつれて流星が増えてきた。赤道儀の極軸だけ
は合わせておいたので慌てることはなかったものの、やはり
周りで『あ、流れた』『明るい』などと騒がれるとあせりが
出てしまう。しかもカメラをセットしていると空が明るく
フラッシュするし(火球が出たということだ)、後で考えて
みるとこの夜の大出現を考えればあたふた慌てる必要はな
かったのだが、気が急いた。6台を同架し、11時台から準備
していたカイロを慎重に取り付ける。最初からカメラを載せ
ては露にやられるだけだから車内に待機していたのだ。構図
を決めインターバルタイマーの接続をした。そして一気に
シャッターを開放した。いつもなら星空を眺めて流れるのを
気長に待つが、この夜は違った。既に頻繁に流れていた。
まもなくそれは雨のように絶え間なく降る流星雨に変わり、
どこをいつ向いても流星が流れるようになった。周囲は歓声
に包まれた。ヘッドライトを消さずに走ってくる車にイラ
立っていると、周囲にはいつの間にか20台以上の車が集まっ
ていた。報道で初めて知って野次馬のように出てくる人間は
マナーが悪くライトをスモールにするという基本も知らな
いので困ってしまう。あげくは夜空に向かって写るんですで
フラッシュを焚く始末。いろいろと興味を持って勉強してか
ら来て欲しい。しかし、そんな些細な事はどうでも良くなる
ようなショーが続いていた。2時を回るとますます流星の数は
増し、3時台にはZHR5000は行ったのではないだろうか。計測
不能になるほど流れていた。もはやマイナス等級の明るい
ものでないと反応しない程マヒしていた。撮影は結露との
闘いになった。カイロは消えてしまい、レンズには霜が積
もっている熾烈な状態。必死にフィルタとカイロを交換し、
撮影を続けたが周囲はついにマイナス5度まで冷え込み、動作
しなくなるボディも続出で、最終的には3台のみでの撮影と
なった。放射冷却だ。快晴の絶好の条件だったので仕方がな
い。それにしても、あれだけ入念に準備して備えたはずだっ
たのにこの体たらくだ。しかし、心は晴れていた。たとえ、
満足ゆく写真が得られなかったとしても、これだけの出来事
を自分達の眼でしっかりと観たのだ。それで十分ではないか。 この地の空は快晴が続いた。冷えきった身体に喝を
入れながら観望と撮影を続けた。4時を回っても流星の勢いは一向に 衰えず、絶え間なく降り注いだ。この頃になる
と引き上げていく車が増えてきた。この後、仕事があるのだろう。あまり の寒さに車の中に逃げ込む人も増えてき
た。あと少しで薄明だ、と私と相棒は頑張った。何よりショーの途中で席を立つ わけにはいかない。やがて東の空が
白み始め、少しづつ明るくなってきた。薄明が始まった。フィルムもちょうど終了に 近くなったので露光時間を大幅
に切り詰め、終了体勢に入った。星の数が減ってきて空が蒼くなってきた。それでもまだまだ流星は降り続いてい
る。相当に濃いダストチューブだったのだろう。ピークと言われていた時間帯には確かに降りっぱなしで連続10個く
らい同時に飛ぶ事もしばしばあったが、何だか一晩中ピークだったという印象だ。ともかくもD.アッシャー氏の
予測はことごとく的中し、流星予測の新しい手法を確立したといえる。八ヶ岳に朝が来て一晩の壮大なショーに幕が
降りた。長く深い余韻に浸りながら撤収を始めた。プロジェクトL2001、大成功だった。
本当に一生の記念になる劇的な流星嵐だった。天に感謝している。

2001年11月18-19日前編
快晴の八ヶ岳
いよいよプロジェクト当日、行き先の判断に迷った。この日
のためにこれまで努力してきたのだ。絶対に逃せない、一生
に一度のチャンスだ、失敗は許されない。2日前までの予報
では東北の太平洋側が雲が少なく、関東周辺は雲が多い気配
であった。しかし、前夜と当日の予報ではどうも天候が好転
したように感じられたので決断した。八ヶ岳で迎え撃つ!
初めての場所で戸惑うよりも勝手を知っている場所で万全
の体制で待ち受ける方がはるかに有利と考えた。昼間の内に
必要な準備を済ませ、早くから現場に入って待った。原村の
もみの湯は徹夜明けのち徹夜となる身体に良く効いた。
そして暗くなってきたので極軸合わせだけ済ませ、ビールを
1杯呑み、腹ごしらえをして仮眠した。11時前に目を覚ます
と周囲には数台の車が来ていた。そろそろ獅子が昇ってくる
頃なので、準備を始める事にした。ほどなく不思議な流星?
を連続して目撃した。地平上を水平に120度くらいゆっくり
と流れる無色で煙りの塊のような流星だった。今までに観た
事もない現象だった。それが続けて5つも飛んだ事実はこの
後に歴史的瞬間となる光景を観られる事を確信させるもの
であった。正にショー開始ののろしのようだった。
快晴の八ヶ岳、朝まで晴れていてくれ!と願った

2001年11月17-18日
霜が下りた機材
いよいよプロジェクトL(Leonids=獅子座流星群)が始動
した。この1週間というもの、毎日毎時天気予報を注視して
きたが、どうも微妙な予報で当日は北海道まで行かなくて
良いにしても岩手が良さそうで、でもこちらでも晴れマー
クはついていたので、最後の最後までどこへ向かうか迷っ
た。今日と明日の天気が良くても、問題は月曜日の天候だ
からだ。月曜日の予報が朝から快晴であれば、その直前で
ある夜半から未明までの天候が良いはずと考えた。結局、
この日良さそうな八ヶ岳方面へ向かい、翌日の予報が悪け
ればすぐに東北まで移動するということでまとまった。
そして迎えた前日のしし群。快晴の空、のはずが曇りがち
になってきて、前回のロケハンで見つけたポイントはつい
に霧に包まれてしまった。これはダメだということで移動
を繰り返し、川上村まで移動してみたがダメで、野辺山で
やっと快晴になったので(3時前だった)、薄明まで撮影
した。ピークの前日ということで数は飛ばなかったが、
それでも久しぶりのしし群の明るい流星は心を踊らせる
ものがあった。朝になってマイナス5度で撮影していた事実
を知った。どうりで何から何まで凍りついていたわけだ。
何から何まで霜が下りて凍りついていた...

2001年11月12日
6台同架全自動追尾撮影システム
プロジェクトまであと1週間、構想からあれこれ試行錯誤を
繰り返した6台撮影システムが完成した。ビクセンのGPD
赤道儀に6台の写真機を同架し、これらをCanonのインター
バルタイマーを改造したコントローラーで制御、手放しで
設定した露光時間のバルブを繰り返してくれるという代物
だ。名付けて6台同架全自動追尾撮影システムver.1(その
まんま)。オタクと思われそうだが、全天に現れる流星を
多種多様になるべくたくさん写したいと思えば6台でも足り
ないくらいで、極端なマニアだと20台以上で撮影という人
もいるくらいである。私など入門者に過ぎないのだ。今回
のこのシステム、今までと違い手放しで良いのでタイマー
の音に追われながらいくつかのレリーズをあたふたと操作
せずに、じっくりと星空を眺める余裕が生まれたことが嬉
しい。苦労の甲斐は当夜にいかんなく発揮されるだろう。
後は本当に天候だけが問題である。今日現在の週間予報を
見るとフェリーで北海道へ渡る超強行軍しか晴れ間は得ら
れないことになっている。まあ、週間予報は変動が当たり
前なので直前に好天ということが判れば万々歳だ。
北海道まで車を走らせないで済みますように

2001年11月08日
河村隆一
なぜだか河村隆一のライブを観ているとタイムスリップ
したような感覚を覚える...東京国際フォーラムでの
ライブへギタリストの兄にご招待頂いた。聞き慣れた曲
からライブが始まり、お得意の映像MCが合間合間に入
る。単に演奏と唄だけにとどまらない演出が独特だ。
ポップス調の曲になり観客が総立ちで手を振り始めると、
不思議なタイムスリップ感覚を感じる。そうだ、これは
歌謡曲!なのだ。J−POPではなく歌謡曲なのだ。子供
の頃に久米宏と黒柳徹子が司会していたあの時代のノリ。
ベタともいえるが、気取らず素直に楽しめる世界。観客の
反応を見ていると、そんな確信は強まった。しかし、それ
だけではない。聞かせるバラードがあったり、純和風の唄
にも挑戦するなど独特の世界を醸し出している。来春には
太宰を演じる主演映画が公開されるとのことで、単に音楽
家の枠でくくれない芸術家なのかもしれない。打ち上げで
挨拶して回る彼のさわやかで驕らず、へりくだりもしない
態度を見て、好感を抱いた。
自分の世界をしっかりと構築している才人

2001年11月06日
NZ大使館にて
お招き頂きニュージーランド大使館へ。松濤の超高級住宅
街の一角にあるこの大使館には数年前にもお招き頂いた事
があった。今回もその時と同様にハリー・シンクレア監督
の来日レセプションだった。もちろん新作をひっさげての
来日、今回の東京ファンタスティック映画祭で見事グラン
プリに輝いた『ミルクのお値段』である。昨年のカンヌに
出品されアメリカのメディアでも注目された作品で、主に
豪州などで多くの賞に輝いている。内容は見てのお楽しみ
だが結構映画にうるさい私の弟が『劇場で観た方がいい』
との評を下している。監督は今回の来日で紅葉を観たり、
カウンター数席の飲み屋を楽しんだりとすっかり日本が気
に入ったとのことで、日本語も少し話せるようになったそ
うな。今回は来客が多く、写真に徹したが次回はいろいろ
と話をしてみたい。監督は俳優もこなし、親友のピーター
ジャクソン監督の話題作『ロード・オブ・ザ・リング』に
今回の作品で主演しているカール・アーバンとともに出演
している。ハンサムで多才な人物である。
日本語も少し憶えたという監督、『オツカレ!』

2001年11月03日
第一世代EOS,620と630
新たに2台の写真機を購入。宝くじでも当たったか!と思
われそうだが実は中古で1万円ほどのもの。第一世代の
イオス、620と630だ。デジタルばかり使っていて、次の
EOS-1D購入後は銀塩を処分するとまで言っている私がなぜ
今さら銀塩を2台も購入したのか。機材の話とカメラコレ
クション(コレクションするような機種ではないが)が
嫌いな実用第一主義の私が、である。全ては今月17-19日
のしし座流星群撮影のためだ。撮影のためのあらゆる検討
の結果、複数台(現在6台体制を予定)のカメラを自動で
撮影できる事が必要条件と判断した。そのために適してい
るのがバルブ時の消費電力が少なく、しかも廉価なこれら
EOS6xxという結論になったのだ。そしてタイマーリモコン
を改造し、4台同時自動撮影システムが完成した。後の2台
は独立した自動撮影となる予定。98年から毎年しし群を
追っている経験から『撮影で忙しいあまり観望できない』
という状況を避けるにはケーブルレリーズからの開放が必
要という結論に至った。最近は流星プロジェクトで本当に
頭が一杯で野鳥や動物の撮影ができないほどだ。
流星撮影に関しては銀塩写真機が不可欠だ